価値観の違いを乗り越える方法|「人と人」としてつながる
大切な相手と、大事にしている価値観や信念が異なる時、私たちはどうすればいいのでしょうか。譲れない意見の違いがあった時、その違いを乗り越えることは、可能なのでしょうか。
この記事では、イタリアで11歳になる甥っ子の「Cresima (堅信式)」というカトリックの節目のイベントに参加し、宗教的背景や価値観の違いに向き合う中で感じたことを綴っています。
私たちはつい、意見が合うかどうかに意識が向きがちです。でも、本当に大切なのは、まずは、「人としてつながること」です。 Co-Active®リーダーシップ・プログラムでも、関係性を築くうえで大切なのは、「まず相手の人間性に目を向け、関心を持つこと」だと繰り返し学びました。
違いを抱えたままでも、関係性を築いていくことはできる──価値観の違いに悩んでいる方にとって、何かのヒントになれば幸いです。
- この記事は、2025年5月27日(火)配信のメルマガ、”Life is Magicsal”の第8号をブログ掲載用に編集したものです。
- “Life is Magical”は、コーチングや心理学的視点から、より充実した人生を送るためのヒントをお届けするメールマガジンです。日本語と英語で不定期に配信をしています。ご登録はこちらから。
著者:藤田琴子
ICF認定PCC | CTI認定CPCC® | 臨床心理士 | NLPマスタープラクティショナー
コーチとしての想いについては、こちらから
コーチング無料オリエンテーションのお申し込みは、こちらから
🌱 異なる宗教的背景
カトリックには、「洗礼 (Battesimo)」「初聖体拝領 (Prima Communione)」「堅信式 (Cresima)」「結婚式 (Matrimonio)」「葬式 (Funerale)」という5つの大切な儀式があります。
イタリア人の夫の家族は敬虔なカトリックで、義両親は毎週欠かさず教会へ通っており、夫も教会の前を通るたびに祈りを捧げるような人です。当然、夫も夫の妹も、幼い頃に洗礼を受け、その後の儀式もすべて経験しています。
一方、私の家族は神道。高校はキリスト教系の学校に進学したので、キリスト教概論という聖書を学ぶ授業もあったのですが、聖書の内容にはあまり共感できず、なんとか頭で理解しようと四苦八苦していました。一方、大学時代に鎌倉の円覚寺で坐禅会に参加した時には、仏教の教えがすっと自然と心に染み込んだことを、今でも鮮明に覚えています。
こうした経験から、「教え」としてどちらが正しいというのではなく、日本文化への「入り込み具合」や、身体感覚としての「馴染み方」の違いを感じていました。
🌱 「違いを超えて、受け入れる」ということ
私たちが結婚した際には、まず日本で手続きをしましたが、その後、当然のようにイタリアの教会でも式を挙げました。そして、娘を妊娠したときも、やはり「洗礼を受けさせる」という前提で話が進んでいきました。
でも、私の中には抵抗感がありました。将来、娘が自分の意思で信仰を選ぶのであれば、もちろんそれは尊重します。ただ、「娘自身の意思とは関係なく、カトリックの儀式を受けさせること」、そして、宗教的な理解がまだ浅いながらも、「生まれたばかりの段階で『罪を洗い清める』」ということには、どうしても引っかかるものがあったのです。
ただ、夫の家族は、形式だけのカトリックでなく、その教えを「しっかりと実践&体現している」人たち。そして何より、洗礼は「子どもの幸せを心から願って行う大切な儀式」だということも理解していました。だからこそ、それを受けさせないという選択肢は、彼らにとってはありえないだろう、と感じていました。
それでもやはり、私自身が納得するのは難しい… 悩んだ末、思い切って夫に自分の気持ちを正直に伝えてみました。最初はもちろん、夫も戸惑いと抵抗を示していたのですが、時間をかけて丁寧に話し合った結果、理解してくれました。さらには、なんと義両親までもが、私の気持ちを受け入れてくれたのでした。
それから13年。甥っ子のCresimaの式に参列している間、そのときのやり取りを思い出しました。そして、「宗教」という、非常に大切で根本的な価値観の違いがあったにもかかわらず、私を『人として』受け入れてくれた。そのことへの深い感謝が、改めて心の奥から込み上げてきました。
🌱 違いからではなく、人から始める
Co-Active®リーダーシップ・プログラムでも、関係性を築くうえで大切なのは、「まず相手の人間性に目を向け、関心を持つこと」だと学びました。
多くの場合、私たちはまず「意見が合うかどうか」に意識が向きます。意見が似ていれば意気投合し、異なれば距離を取ってしまう──そんなことも少なくありません。でも実は、意見の一致・不一致は後からついてくるもの。人として、まずつながることから、すべては始まります。
とはいえ、正直なところ、私自身もやはり意見の相違は気になりますし、「共通点があると理解しやすい」と思ってしまいがちです。でも、この出来事を通して、改めて「違いがあっても、人として受け入れてもらえた体験」を思い出しました。
そしてそこから広がっていく関係性の可能性を、あらためて感じ──その感動と気づきを、皆さんともシェアしたくなった次第です。
💡今回の問い
あなたの周りに、「価値観が違うから、分かり合えない」と感じている相手はいますか?
その違いを一旦脇に置いて、「その人という存在」に心を向けてみたら、そこからどんなことが生まれると思いますか?
📌 今回の1枚:Cresimaの行われた教会
式は、ミラノの教会で行われました。Cresimaに参加する子どもたちは40-50人ぐらい…? お祝いに駆けつけたのは、それぞれに10-15人ぐらいだとすると、500-700人ぐらいでしょうか。その場には、ものすごい祝福のエネルギーがあり、そこにいるだけで、エネルギーをもらえるような感じがしました。
今回は、特に意図をきちんと伝えたく、いつもより執筆に時間がかかりましたが、いかがだったでしょうか。最後まで読んでくださり、どうもありがとうございました。
