こんにちは。
プロコーチの藤田琴子です。
本サイトにお越しいただき、
どうもありがとうございます。
このサイトでは、
「コーチングを学んだものの、まだ実績はない方に対し、ゼロからのコーチングの始め方をステップ・バイ・ステップで伝え、3ヶ月後には、『コーチ』と自信を持って名乗れるようになるために必要な情報」
を発信しています。
そのため、まずはじめに
なぜ、私がプロコーチになったのか、
ここまでの経緯と、
なぜ、このような発信をすることにしたのか、
その理由を、自己紹介を含めて
お伝えしたいと思います。
基礎情報
藤田琴子 (ふじたことこ)
<<実績>>
- オンラインコーチング 約900件
- オンラインカウンセリング 約1,400件 (2024年8月現在)
<<経歴>>>
- 2003年:
- Teachers College, Columbia Universityにてカウンセリング心理学・修士課程(Ed.M)修了
- 2003-2008年:
- アクセンチュア(株)にて約5年勤務。コンサルタントとして、システム構築や、人材育成、人事改革、風土改革等のプロジェクトに関わる
- 2008-2010年:
- カウンセラーに転職、(株)保健同人社にて約2年半勤務。電話相談やメンタルヘルス研修を実施。EAP導入では企業の人事・労務担当者を支援
- 2011年:
- 国際結婚により渡仏。以後、フランス在住
- 2017年:
- (株)cotreeに登録、オンラインカウンセリングを開始。2019年からはアセスメントコーチングを実施。運営にも関わり、登録カウンセラー&登録コーチのコミュニティ設計/運営、セッションの質向上、ワークショップの企画などに取り組む
- 2023年:
- コーチとして独立
幼少期:空っぽな「いい子」
私は、転勤族だった父の都合で、
引越しの多い幼少期を過ごしました。
家族は、真面目で厳しい父、
子育て命の専業主婦の母、姉と弟。
性格は、聞き分けが良く、
いわゆる「いい子」でした。
大人の言うことには、疑うことなく従うので
大体の先生に気に入られる子どもでした。
でも、逆に言うと、
「自分で考えることを放棄していた」
ともいえます。
印象に残っているのは、小学校6年生の時。
卒業アルバムに、
「将来の夢」を書く必要がありました。
生まれて初めて
「あなたは、なにをやりたいの?」
「あなたの望みは、なに?」と問われ、
ものすごく戸惑ったのを覚えています。
それまで、意見や希望を聞かれることはなく、
言われたことをただただやってきた。
初めてのぞいた自分の心は空っぽで、
なんにもない。
でも、「優等生の自分」が
指示されたことをできないなんて、
絶対に許されない。
ものすごく焦り、
なにか書かなきゃと必死で考えるも、
母は専業主婦、親戚も専業主婦が多く、
そもそも「働く女性」のイメージが
全く湧かない。
締め切りがジリジリと近づく中、
なんとか捻り出したのは
「アナウンサーになりたいです。」
それが小学6年生の私にとって、
「働く女性」として
唯一思い浮かんだイメージでした。
高校時代:「傾聴」のパワーを体験、カウンセラーに憧れる
中学に入った頃から、
「もっと違う世界を見てみたい」
「海外に行ってみたい」
と海外への憧れが出てきました。
そのため、
帰国子女のための校風の自由な高校を受験。
無事、希望通り入学できたものの、
クラスメートと自分の「差」に
大きな「カルチャーショック」を受けました。
可愛くて、性格も良くて、
勉強も運動もできて、
ピカピカの真っ白な歯を見せて笑う
キラキラ輝く帰国子女がいっぱい!
しかも、
楽しそうに英語で会話している子達もいる!
自分の生きてきた世界は
なんてちっぽけだったのかと、
わずかな自信は、木っ端微塵に砕かれました。
そして、反抗期と重なったこともあり、
常に正論をぶつけてくる
父との関係が悪化していました。
気持ちを発散するために、
父の悪口を言いまくっていたけど、
「きっとお父さんは、
ことこのことを思って言ってるんだよ」
「お父さんにも考えがあるんだよ」
など「諭される」ことが多く、
そうなると、
正当性を主張しようとムキになっていました。
高校3年生の時、
ある教科の先生が変わりました。
その先生は、
カウンセラーでもあるとのことで、
話す内容がとても興味深く、
休み時間には先生の部屋に
遊びに行くようになりました。
最初は友達関係や受験のことを
話していたのですが、
ある時、父との確執について話しました。
いつものように、
一方的に父のことを悪く言っていたら、
「そうかそうか、そうなんだね〜」
「それは、腹が立つよねぇ」
「うんうん、ことこは悪くないよ」
と私のことを一切否定することなく、
ただ聴いてくれました。
そして、心の中を洗いざらい、
全部聴いてもらったら、
「でも、、、若しかすると、
お父さんも私のことを思って
言っているのかもしれない…」
そんな言葉が自分の口から自然に出てきて、
本当にびっくりしました。
否定されずに、
ただただ聴いてもらったら、
自然と答えは出てくる。
本人が答えをちゃんと持っている。
生まれて初めての体験でした。
傾聴の素晴らしさを体験し、
「私も先生みたいになりたい!
カウンセラーになりたい!」
と思いました。
とはいえ、心理学に興味を持ったものの、
心理学に対して、今のような認知はなく、
仕事のイメージも全く湧かず。
心理学を学んだ後の未来が見えなさすぎて、
高校3年生の段階で、
進路変更する勇気はありませんでした。
大学時代:バックパックを担いで世界放浪&自分探し
大学時代は、
とにかく世界を見てまわりたかったので、
授業やサークルの合間にバイトをして、
長期の休みに入った途端、
バックパックを担いで海外に飛び出しました。
大学時代に訪問したのは、
ケニア、パキスタン、タイ、ラオス、インド、
ネパール、メキシコ、グアテマラ、ミャンマー
など。
往復の航空券だけを確保して、
「地球の歩き方」を頼りに
今日の行き先を決める。
そして、宿を決める。
旅中は、とにかく会う人に話しかけまくり、
「今までどの国に行ったか?」
「どこが良かったか?」
「なぜ旅をしているのか?」
など、質問攻めにしていました。
今思うと、
答えを外に外に求めていた時期でした。
旅を重ねるうちに、
前から書くことが好きだし、
識字率を上げるための教育に関わりたいな
途上国の開発に関わりたいな、
とぼんやり考えるようになりました。
そんな思いを抱えて訪問したグアテマラ。
メキシコから入ると、
グッと生活水準が下がったのを感じました。
旅行者を見ると、
「なんかちょうだい!」
「なんでもいいから、ちょうだい!」
と子どもたちがワラワラ寄ってくる世界。
つぶらな瞳で寄ってくる女の子を見ていて、
「この子が学校に行って、
字が読めるようになるまでには、
どれだけのステップが必要なんだろう?」
と考えました
親の考え、社会の考え、学校のシステム、
そして政治も。
「なにがどれだけ
変わる必要があるんだろう?」
と想像すると、道のりは果てしなく、
自分の小ささ、圧倒的な無力さを感じました。
そしてある時、
村をぷらぷらとお散歩していたら、
道端に転がっていたネズミの死骸にギョッ!
ギョッ!とした自分にハッとしました。
「そんな反応をしておきながら、
開発問題に関わりたいって無理じゃない?」
「そもそもここに住める?
わたしには、そんな覚悟がある?」
自分が一生のうちに
成し遂げられることは、本当にわずか。
出来ることが限られているとすると、
本当にやりたいことは何?
と問い直しました。
そして、
高校時代に出会ったカウンセラーの先生を
思い出しました。
自分にできることが僅かだとしたら
大切な人が困っている時に、
力になれるようになりたい。
そんな存在でありたい。
「やっぱり、
カウンセラーを目指そう!」
と決断しました。
大学院時代:カウンセラーを目指して – 泣きながら勉強した米での3年間
「留学したい」という思いが
ずっとあったこと、
日本で学べる心理学は、
翻訳されたものなので、
直接英語で学んだ方が
最新のものを学べること、
更に、文献は英語が多いので、
英語で学べるようになった方がいいと思い
アメリカに留学することにしました。
とはいえ、旅中に英語は使っていたものの
大学卒業までの教育は、ずっと日本語。
直接、大学院で学ぶのは、
ハードルが高すぎたので、
まずは大学に入り、
心理学の基礎やライティングなどを
学ぶことにしました。
日本人留学生の多い大学だったのですが、
「英語上達のために、日本語は喋らない」
と決めました。
とはいえ、
ネイティブスピーカーとはお友達になれず、
台湾や韓国からの留学生と行動していました。
留学2年目は大学院に進むために、
ニューヨークに移動。
移動して1週間後ぐらいに
「911」が起きました。
アッパー・マンハッタンから、
世界が変わる惨事をTV越しに見ていました。
大学院の授業についていくのは本当に大変で、
読むのにも、書くのにも、理解するのにも、
英語ネイティブの学生の最低4-5倍はかかる。
毎週、何百ページもの文献を読む必要があり、
レポートも必須。
朝から晩までずっと図書館にいて、
「土曜日の夜だけ遊んでOK」
というルールにしました。
大学院2年目は、ひたすら実習で、
英語でのカウンセリングがスタート。
カウンセリング以前に、
クライアントの英語が分からないことが多く、
カウンセラーとして全く役に立てずに
スーパーバイザーに泣きついていました。
授業が分からずに泣き、
レポートやテストの点数が悪くて泣き、
カウンセリングが上手くできなくて泣き、と
泣いてばかりの3年間だった気がします。
でも、遂に迎えた大学院の卒業式!
足元から震えるぐらいの達成感で、
「遂にここまでくることができたー!」
今度は、喜びの涙を流すことができました。
人の心や人間関係への興味は尽きず、
「この道をもっと追求したい!」
と博士課程に進もうと思いました。
でも、その頃何故か、繰り返し繰り返し、
「自分は日本にいて、
アメリカに戻る飛行機に乗り遅れる夢」
を見ました。
最初は起きたら忘れていたのですが、
あまりに何度も見るし、
夢分析的には、
夢は自分からの大切なメッセージ。
「もしかして、日本に帰りたいのかも!?」
と感じ、3年間の留学を経て、
若干、燃え尽きた感もあったので
一旦日本に帰ることにしました。
日本では「新卒」の方が、
門戸が開かれている。
そして、今後、日本人の大人に
カウンセリングをする時のために、
一度は日本の企業で働いておいた方がいい、
とも考えました。
社会人①:甘くなかったコンサル会社での勤務
「日本に帰るとなると、就職先を探さねば」
留学生対象のキャリアフォーラムで
色々な会社を受け、
「2-3年で10年分学べる」というのに惹かれ
コンサルティング会社への就職を決めました。
コンサルティングがなんなのか、
全く理解しておらず、
新人研修では全くついて行けず。
感情ベースを、思考ベースに切り替えるのにも
かなり苦労しました。
でも、素晴らしい同期に恵まれ、
周りに助けてもらい、
新人研修はなんとかクリア。
最初にアサインされたのは
大規模なグローバルプロジェクト。
外国人の多いプロジェクトで、
イタリア人の夫にもそこで出会いました。
外国人スタッフと
海外オフィスで仕事が出来たのは楽しかったし
アナリスト時代は、
英語でのコミュニケーション力と
言われたことを素直にこなすことで、
なんとかなっていました。
ただ、年次が上がり期待値が上がってくると
段々と苦しくなってきました。
そもそも、なんとなく入った自分と、
本気でコンサルティングに取り組む人達との
差は開くばかり。
論理的思考も得意ではなく、
1日かけて考え抜いたつもりのスライドも
上司に一蹴される。
「これはまずい」と感じ、
ようやく真剣に取り組もうとしたけど、
時すでに遅し。
遂に上司から、
「コミュニケーションが取れない」
と、カウンセラーとしては
屈辱的なフィードバックも受けました。
本当に辛くなってきて、限界も感じ、
「そもそも、私が本当にやりたいことは
コンサルじゃないから!
今こそ、心理の道に戻るんだ!」
と博士課程に出願したものの、
結果は全ての大学院からリジェクト。
行き先を見失ってしまいました。
社会人②:「カウンセリングをやりたい!」2年間の日欧遠恋覚悟で転職
コンサルタントとしての限界が見えてきて、
マネージャーへのプロモーションは、
絶対に無理。
「だったら、アメリカに戻ろう」と
博士課程に出願したものの、
研究計画が曖昧で、
どこの大学院にも引っかからず。
更に、イタリア人の彼は
ヨーロッパに戻ってしまい、
日欧での遠距離恋愛がスタートしていました。
「私は次、どこで、なにをするの?」
キャリアとライフの選択でも揺れました。
「アメリカじゃなくて、
一層のことヨーロッパに行くのもあり?」
とも思ったものの、
「彼のためにヨーロッパに行けるか?」
と自分に問うた時、
答えは「NO」でした。
このまま行っても、絶対に後悔する。
心理の仕事をできない理由を
彼のせいにしてしまう、と。
そんなメンタルでは、
関係そのものも壊しかねない。
なので、意を決して彼に伝えました。
「私はやっぱり、カウンセリングをやりたい。
カウンセラーとして仕事をして、
その証として臨床心理士の資格を取る。
だから、2年間待ってください」
そして、
2年以上の日欧の遠距離恋愛を覚悟の上、
カウンセラーに転職しました。
彼にも会えないし、
日本にいられるのも残り2年かもしれない。
「今、学べることは全て学んでおこう」
と、給料の殆どを学びに費やした期間でした。
NLPを学び、催眠療法を学び、
フォトリーディングという速読スキルも学び、
爆速で本を読み、ひたすらインプット。
ヨガや瞑想も始め、心身ともに、
ひたすら自分と向き合い続けました。
しかし、彼との関係は山あり谷あり。
遠距離恋愛では、喧嘩をすると
仲直りが相当難しいことも痛感しました。
お互いの様子は、どんどん見えなくなるし、
お互いのいない生活が、
どんどん「当たり前」になっていく。
しかし、何度も喧嘩をし
もう無理だと思うものの、
なぜか縁が切れない!
とはいえ、人生は平行線で、
交わる気配はない。
藁にもすがる思いで、
占星術で相性を見てもらったら
「今別れても、いずれ復縁しますよ。
多分、5年後ぐらいかな?
おふたりは『腐れ縁』って出てますから。
別れられないと思います」
と断言され、
もう一体どうすれば… と途方に暮れました。
キャリアとライフの狭間で、
ものすごく悩んだけど、
カウンセラーとしての経験が2年経過し、
臨床心理士資格も取ることができたので、
ヨーロッパに移住することを決めました。
2011年国際結婚で人生リセット:独立を試みるも失敗
これまで築いてきた人間関係もキャリアも
全部日本に残して、
彼と一緒になるためだけに、フランスに移住。
知っている人は彼1人だけ、という状態でした。
フランス語も「ゼロ」だったので、
語学学校に通い始めようとしたものの、
レベル分けテストでは、
本当に一問も分からず、
先生の指示も全く分からず。
遂には、”Go outside!”と英語で言われ、
ポツンと1人、庭で待機させられました。
フランス語学校のクラスメートは
ヨーロッパのティーンが多く、
自己紹介で年齢を伝えたら、
「え?その数字はありえないんだけど?」
と驚かれ、次の瞬間、
「この子は数字も数えられないレベルなのね」
と勝手に納得され、ものすごく惨めでした。
「私だって、
好きでフランスに住んでいる訳じゃない」
「アメリカに留学したのに!
コンサルとしても働いていたのに!
なんでこんなに、
人生がリセットされなきゃいけないの?」
喪失感に苛まれました。
頼みの綱の夫は出張が多く、
月〜木はひとりっきり。
フランス語は話せないし、仕事もない。
時間がありすぎるけど、やることがなく
悶々とした日々でした。
時間を持て余し、孤独で、
何かできないかと考え続けていた時、ふと、
「あれ?私みたいに
日本でのキャリアが完全にリセットされて、
落ち込んでいる海外在住日本人が
いるかも!?」
「旦那さんの海外赴任についてきて、
ぽっかりと喪失状態になっている人が
いるかも?!」
と閃きました。
そこで、海外在住の日本人に向けて、
Skypeでのカウンセリングサービスを
立ち上げることにしました。
Skypeだったら、
地理的に離れていても
カウンセリングを提供できる!
また心理の仕事ができるかも!?
誰かの役に立てるかも!?
と、一気に目の前が明るくなり、
エネルギーが湧いてきました。
サービスメニューを検討し、
アメブロで自分のページを立ち上げ。
フランスで自営業者として登録。
フランスの日本人向けの会報に広告を掲載。
名刺やポストカードを大量に準備して、
身近なところにばら撒きました。
パリやロンドンにいる
日本人の精神科医にもコンタクトをとり、
何かあった時に、
リファーできるような場を整え、
友人達にも高らかに
「次にやることが決まりました!」
と宣言!
きっと、たくさんの需要があるはず!
これまでの知識と経験を活かすんだ!
海外在住の日本人の方をサポートするんだ!
そんな希望が湧いてきました。
が、いざ始めてみると、全然反応がない…
溢れ出ていたエネルギーも
シューっと音を立てて萎んでいきました。
更に、ぽつり、ぽつりと来るご相談は、
国際結婚が拗れに拗れ、
心理的サポートよりも、
法的サポートが必要と思われるケースや、
カウンセリングよりも
医療の介入が必要なケースが多く、
自分には対応できない
無力感に打ちひしがれました。
また対応できないケースが重なることで
「また対応できなかったらどうしよう」
と、発信することへの怖さも
募っていきました。
そんな状態で、長女を妊娠。正直なところ
「これで活動を休止する大義名分ができた」
とホッとしました。
長女が1歳になり、
週3回午前中だけ
保育園に預けることにしたので、
少しだけ活動を再開。
でも、やっぱり中途半端で宣伝できず、
集客もできず。
そして次女を妊娠。
「これで止めても、
誰にも何も言われないだろう」
逃げるようにサービスを休止しました。
2017年 プラットフォームに登録:コーチングの面白さに目覚める
多言語環境にいる2人の娘達。
日本語教育など、
子育てにエネルギーを注ぎ込もうと思えば、
いくらでも費やすことは可能でした。
ただ、
「溢れるエネルギーを子どもだけに注ぐと、
子どもを潰してしまう」
「子育て一本で行ってしまうと、
空の巣症候群まっしぐら」
という危機感と不安がありました。
そんな時、偶然、
オンラインカウンセリングのプラットフォームを知り、
「オンラインなら
フランスからもカウンセリングできる!」
と即応募!
登録後は、予約やキャンセル、決済手続きが
全部プラットフォーム内で完結していること
朝起きたら予約が入っていることに
感動の連続でした。
マーケティングや集客、決済などを気にせず、
カウンセラーは、
カウンセリングのことだけを考えていればいい。
とにかく経験を積もうと、
最初は週2回、その後は週4回、
娘達がいない9時から16時まで、
カウンセリングに没頭しました。
その後、プラットフォームが
コーチング事業を開始。
内部でコーチ募集の声がかかり、
「やってみたい!」
と速攻で手を挙げました。
性格特性診断に基づき、自己理解を深め、
目標達成をサポートするタイプのコーチング。
これまでは、
カウンセラーとして関わってきたけど
コーチはクライアントに
より積極的に関わる存在。
関わり方の違いにより、
クライアントに起きる変化もスピードも
変わる。
コーチはクライアントに、
より積極的に、ダイナミックに関われることに
大きな魅力を感じました。
コロナ禍で
一気にzoomが広がったタイミングで
プラットフォームにも勢いがあり、
次から次へと予約が入るので、
コーチとしても
順調に経験を重ねることができました。
これまでで
一番多くセッションをやったのは、
2020年の7月。
1ヶ月で、コーチング47件、
カウンセリング29件と
合計76セッション。
本当にたくさんのクライアントさんとの
出会いがありました。
どれだけセッションをやっても、
疲れは全く感じず、
「もっとクライアントさんの
お役に立てるようになりたい!」
と思いました。
そして、
「カウンセラーの私よりも、
コーチの私の方が、
素の自分に近い気がする。
若しかすると、私は
コーチの方が向いているのかもしれない」
そんなことも、感じ始めていました。
2021年 Co-Active®コーチングとの出会い:「これだ!」衝撃と確信
カウンセリングからコーチングに焦点が移り、
コーチとして、もっとスキルアップしたい、
と考えていたところ、
2020年の年末、コーチ仲間から
「きっとことこさんに合うと思いますよ!」
とCo-Active®コーチングを
教えてもらいました。
コロナ禍の影響で、
それまで対面でしか受けられなかった
トレーニングが
オンラインで受けられるようになっていた
タイミングでした。
しかし、スケジュールを見てみると、
時差的に日本のコースへの参加は不可能。
土曜日に他の仕事があるので、
週末開催のイギリスのコースも難しい。
唯一可能だったのは、
アメリカ東海岸の平日コース。
久しぶりの英語でのトレーニングに
不安はありつつも、
導かれるように受講を決めました。
トレーニングは、3日間x5コース。
最初のコーチングデモを見た時に、
「私が求めていた
コーチングはこれだ!!!」
という衝撃を受けました。
時々投げかけるコーチの核心をついた質問で、
短いデモンストレーションの時間でも、
クライアントが激変していくことに感動!
無駄なく一直線に「答え」に向かっていく、
そんな「美しさ」にも魅了されました。
これまで自分が持っていた
- 「コーチングは、クライアントの
目標達成をサポートする」
という認識は、
- 「コーチングは、クライアントに
本質的な変化を起こし、
クライアントの人生を
より良い方向に向かわせる」
へと変化し、
コーチとしての可能性が
一気に広がった気がしました。
約2ヶ月の短いスパンで
基礎・応用コースを終了。
最終日には、
大学院での卒業式に似た達成感を
抱くことができました。
そのまま上級コースに進み、
コーチング資格の取得を
目指すつもりだったところ、
所属していたプラットフォームの代表から、
チームリーダーを打診されました。
「登録カウンセラーとコーチを取りまとめ
カウンセリングとコーチングの質向上を目指す
チームのリーダーをやってくれませんか?」
そんなチームは
これまで存在していなかったし、
打診されたこと自体に、
とても驚きました。
これまでは、コーチとして一対一で
クライアントの成長をサポートしてきた。
でも、リーダーとして
メンバーの成長を促進することでも
コーチとしての自分を
活用できるかもしれない。
それに、カウンセリングとコーチングの
質向上となると、
これまでの様々な経験を
色々な形で活かせるかもしれない。
上級コースの申し込みの一歩手前だったけど
一旦、学びは中断し、
新しい役割に挑戦することにしました。
その後1年半ほどは、チームリーダーとして
チームメンバーと様々なことにチャレンジ。
チーム一丸となって目標に向かっていた時は
結果も出ていて、
「メンバーの強みが発揮される、
ってこういうことか」
「心理的安全って、
こうやって作っていくものなんだな」
など、チームでしか得られない学びも
たくさんありました。
ただ、会社の方針が色々と変わり、
遂にはチーム自体が解体されることに。
体制が変更される度に、人が去っていき、
自分の居場所もどんどんなくなっていく中、
向かいたい方向はなかなか見えてこず。
チームリーダーだったのは
1年半という短い時間でしたが、
想いがありすぎて、愛着がありすぎて、
なかなか気持ちが切り替えられませんでした。
ストレスで暴飲暴食が加速し、
自分へのコントロールを失う中、
冬休みに家族で行ったスキー場で、
スロープから転がり落ち、右膝を剥離骨折。
「6週間右膝を固定」と言い渡され、
物理的に動けなくなり、
徹底的に自分と向き合わざるを
得なくなりました。
藁にもすがる思いでコーチングを受け始め、
浮かび上がってきた答えは、
「コーチとして独立しよう!」
あれほど魅力を感じ、
「これだ!」と確信したけど、
2年前に中断してしまった
Co-Active®コーチングの道。
もう一度、歩き始めよう!
プロコーチの道を突き進んでいこう!
と決めました。
2023年コーチとして独立:もがき続けた1年間
2023年6月、コーチとして独立。
それまではプラットフォーム経由で
クライアントさんと出会えていたけど、
自力でクライアントさんと繋がる必要性が
出てきました。
カウンセラーとして集客できなかった
12年前の記憶が蘇ってきたけど、
失敗した過去を乗り越えようと
がむしゃらに行動しました。
7月からは2年越しで上級コースも開始。
Co-Active®コーチングの習得には
苦労しました。
上級コースが始まった時点で、
既に700時間以上のコーチング実績があり、
NLPや、その他様々な手法から、
視点を変える方法や、
行動を変容させる方法は
たくさん知っていました。
でも、
「これまでについた癖をなくす」
「Co-Active®の型をしっかり身につける」
そう決めました。
実際、コースリーダーからは、
「それはCo-Active®ではありません」
と何度も言われました。
「でも、クライアントのためになるんです!」
と言いたい気持ちをグッと堪え、
フィードバックを正面から受け取ることを
意識し続けました。
そんな風に9ヶ月間、
コースを通じて全力で学び、
万全の状態で臨んだ第1回目の試験は
「不合格」。
受け入れ難い結果でしたが、
悲しみや悔しさを味わい、
自分の至らない部分を受け入れ、
再試験への恐怖を克服し、
自分自身と自分のコーチングを見つめ直し、
再度、試験に挑みました。
非常に辛い1ヶ月でしたが、
このプロセスを経て、大袈裟でなく、
「レベルが上がった」
感覚を得ることができました。
そんな風に、二度目の正直で
CTI認定CPCC®資格を取得!
ようやく、胸を張って、自信を持って、
「私はプロの
コーアクティブ・コーチです!」
言えるようになりました。
2024年:現在地とこれから
そんな風に、独立1年目は
コーチとして成長することに注力し、
しっかりとした手応えを
感じることが出来ました。
1年前の自分と今の自分を比べると、
大きく成長することができた、
と断言できます。
そして、今後も一生、学び続け、
コーチとしての研鑽を続けます。
一方で、プロコーチとしてやっていくには、
「コーチング力」の研鑽だけでは不十分で、
それに加えて、
「マーケティング力」が必要なことを
痛感しました。
というのも、過去1年間、
自分なりに色々な発信を試してみたものの、
費やした時間と効果が全く釣り合っておらず、
努力の方向が間違ってる感が
否めませんでした。
実際、ここ20年ほどで
インターネット全体の情報量は
6000倍以上増えているとも言われており、
情報過多の時代で
「見つけてもらう難易度」は
飛躍的に増加しています。
でも、
コーチとして伝えたいこと、
届けたいことはたくさんある。
コーチングの素晴らしさや魅力は、
語り尽くせないぐらい!
だから、
メッセージを届ける方法を
ちゃんと知りたい!
そして、
コーチングを必要としている人に、
ちゃんと出会いたい!
そんな想いから、
2024年5月から1年間、
WEBマーケティングスクールで
マーケティングの基礎から学ぶことを
決めました。
必要な人に必要なメッセージを
届けられるよう、
1年かけてしっかり学びたいと
思っています。
実は、
そのマーケティングスクールの最初の課題が
このブログサイトです。
「今の私が届けることのできる
価値のあるコンテンツはなんだろう?」
と考えに考え、第一弾として、
「コーチングを学んだ後、
次の一歩が分からず
立ち止まっている人に対し、
ゼロから始める方法を伝える」
ことを目指すことにしました。
私自身もプロコーチになるまでに
様々な壁にぶつかりましたが、
その度に、マイコーチやコーチ仲間に
助けてもらいました。
そのため、今度は、
私がお伝えできることをお伝えしていきたいです!
ぜひ、このサイトを
定期的に見にきてください!
これまでコーチ、カウンセラーとして
培ってきた知識や経験をもとに、
分かりやすく、役立つ情報を
発信していきたいと思っています。
応援してもらえると嬉しいです!
結構長くなった、私のこれまでの軌跡、
最後までお読みいただき、
本当にありがとうございました!